1947(昭和22)年9月14日〜15日カスリーン台風

発生日時
1947(昭和22)年9月14~16日
被災地
関東(埼玉、東京、群馬、栃木)、東北(釜石市、宮古市、盛岡市)等

カスリーン台風は、関東では利根川堤防を決壊させ、埼玉県・東京都の家屋約16万7千棟が浸水。岩手県では北上川流域および閉伊川の被害が甚大で、宮古市では閉伊川中下流域での家屋の流失、道路の欠潰、山田線の不通などの被害がありました。(気象庁「災害をもたらした気象事例」)

9月になり降り続いた雨は、同月14日の午後6時頃から翌朝5時頃にかけて激しい豪雨となりました。15日午後3時頃には閉伊川は増水し護岸を越し、下流域の新川町一帯から向町にかけて家屋の浸水は広がり、夕方6時頃の増水標は3,050mmを示しました。翌16日午前3時頃を最高として、宮古地域の浸水は2,390戸となりました。旧川井村(現宮古市)でも山田線の不通をはじめ家屋の流失、道路の欠潰、橋梁の流失、田畑の冠水等の大被害となりました。

1948(昭和23)年9月15日〜17日アイオン台風

発生日時
1948(昭和23)年9月15日~17日
被災地
岩手県(一関市、宮古市)等

カスリーン台風の復旧もまだ完了していない翌年に発生したアイオン台風は、仙台で351.1mm、宮古で249.3mmなど東北の太平洋側に大雨をもたらしました。北上川や閉伊川が氾濫し、一関市と宮古市(旧川井村、宮古中心地)を中心に、全国の死者・行方不明者838人のうち700人を超える死者・行方不明者が出るなど、カスリーン台風の被害を上回る大災害となりました。(気象庁「災害をもたらした気象事例」)

閉伊川氾濫し、川井地区・宮古藤原地区ほぼ全滅の大被害

岩手県では9月15日夜から雨が降り出し、同月16日午後には県下一帯が豪雨となり、北上川と閉伊川、その支流が増水氾濫し、昨年のカスリーン台風を上回るすさまじい水害となりました。大きな被害となりました。宮古市川井地区(旧川井村)では人家密集地区の8割が流失。24時間降水量249.33mmを記録した宮古地域では藤原地区が大きな被害を受けました。

「昭和三陸地震津波(1933年)以上の惨害」と報じる岩手日報
(昭和23年9月21日)

道路決壊で宮古地方は陸の孤島と化した

激流が八幡前一帯の家を押し流した

材木や流失物、泥が道路をふさぐ

※写真提供:旧宮古測候所

跡形もない山田線。宮古は通信も途絶え陸の孤島に

山田線は、前年のカスリーン台風では第33閉伊川鉄橋の一部が流失しただけでしたが、アイオン台風による鉄橋流失は14カ所にのぼり、前年は無事であった腹帯と蟇目両駅も本屋の一部を残して原型がみられないほどの惨状でした。山田線34キロが寸断破壊されたため、内陸部との連絡が途絶え、宮古は陸の孤島となりました。6年後の昭和29年11月の山田線復旧開通まで、市民は相当の不便を強いられることとなりました。

山田線では12カ所3.53kmで線路が流失した

平津戸-川内間のトンネル入口は崩れ、線路はぶら下がった

※写真提供:旧宮古測候所

宮古市中心部では5mの浸水値を記録

宮古市本町には、洪水の浸水高を示した「災害洪水位標」があります。上からアイオン台風(昭和23年)の水位5.00m、カスリン台風(昭和22年)の水位4.00m、最下部にチリ地震津波(昭和35年)水位2.90m(実際には表示より0.9m下)が刻まれています。

宮古市本町・送水場の西にある「災害洪水位標」

早池峰山の斜面崩壊。山津波が天然ダムを形成・決壊を繰り返す

同月17日になると、早池峰山では28haもの規模で多数の斜面崩壊が発生。特に北斜面で発生した比較的規模の大きな崩壊による山津波(土石流)は、閉伊川の中・下流域から河口に至るまで甚大な被害を発生させました。石合沢上流で発生した崩壊(その後「アイオン沢」と呼ばれるようになる)による土は、途中で天然ダムを形成し、決壊を繰り返して流下したものと考えられます。この土砂流出による被害は、閉伊川上流の川井村(現宮古市)から最下流の宮古市にまで及びました。

アイオン台風によって発生した土石流跡地で生育が確かめられたアカエゾマツの森。国の特別天然記念物に指定されているアカエゾマツは、本州では氷河時代以降、生息できずに、今や早池峰山に小集団を残し、消滅したものと推定されています。土石流地は国指定の「早池峰環境保全地域」に含まれ、展望地より観察することになっており、「木の博物館」の「古代の森見学コース」になっています。
(問合せ先:「木の博物館」川井総合事務所 TEL:0193-76-2111)

出典:宮古市ホームページ「木の博物館/分館6号 古代の森」
▶https://www.city.miyako.iwate.jp/kawai-shisho/kinohakubutu_6.html

洪水警報の伝達と災害復旧が遅れた東北

「関東地方では前年の教訓から被害を最小限におさえることができたが、戦後、間もない時期であり、特に財政力のない東北地方では災害復旧が進まない上に警報連絡体制も万全ではなかったため、大きな被害となった。迅速な災害復旧の必要性はもとより、いち早い洪水警報の伝達、関係機関の連絡体制の整備等の対策が重要であることを示した。」

(総務省消防庁「現在までに語り継がれる『災害』について」)
▶https://www.fdma.go.jp/publication/database/item/database009_01_01.pdf

宮古市における「アイオン台風」 をもっと見る

<参考文献>
宮古市(1974)『宮古のあゆみ』
川井村郷土誌編纂委員会(1962)『川井村郷土誌』(昭和37年9月20日発行)
アイオン台風50周年記念誌編集委員会(1999)『アイオン台風 藤原地区災害誌』