命てんでんこ-先人からの伝承 防災に尽力した偉人・先人

不屈の心で防災に尽力してくれた、私たちが誇る偉人・先人

田老の防潮堤建設を決断し、津波防災の礎を築いた

関口 松太郎 (旧田老村長)[1862-1937]

津波常襲地域と呼ばれ、幾度も大津波や火災などの大災害に見舞われた田老地域(現宮古市)に、大防潮堤を建設したのが当時の村長・関口松太郎です。
1933(昭和8)年の昭和三陸地震津波による田老村の被害は大きく、911人の命が奪われています。村長は翌年3月、村費を投じ、単独で防潮堤の建造に取りかかることを決断。この時、村長は71歳の老齢でしたが、不眠不休で復旧に当たり、その後は津波から村を守るために生涯をかけて力を尽くしました。

「命はてんでんこ」の大切さを伝え続けた

田畑 ヨシ (紙芝居「つなみ」語り部)[1925-2018]

「地震があったら一人でも裏の山に逃げるんだ」-“命てんでんこ”の祖父の教えを守り、昭和と平成の2度の大津波を乗り越えてきた田畑ヨシさん(宮古市田老地域出身)。自身の津波体験を紙芝居「つなみ」にして40年近く、学校や地域で語り継いできました。
紙芝居では津波の恐ろしさとともに、地域の人々が支え合って生きる姿も描かれています。「津波の時は一人でもいいから、てんでんばらばらでもいいから逃げるんだぞ。命はてんでんこだからな」。「最も怖いのは津波ではなく、津波を忘れること」と話していた田畑さんの思いは、宮古市民に津波の心得として受け継がれています。