地震・津波災害

三陸沿岸はわが国でも津波の起こりやすい地域で、昔から幾度となく大津波が襲来したことは文献などにも記されています。 記録によると、 869年の貞観地震津波から60回以上*にも及んでいます。 そのなかでも、 明治・昭和・チリの地震津波と東日本大震災は、すさまじい惨状と甚大な被害を伝えています。決して 忘れてはいけない、これらの津波災害に対して、私たちのご先祖や地域の先人たちは、 そのたびに辛苦を乗り越え、まちを復興し 発展させてきました。その経験と教訓は今に語り継がれています。

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*「『宮古市の記録』 宮古地方地 震津波年表」より、三陸沿岸に被害が記録された地震・津波を抽出した。

869(貞観11)年 貞観地震津波

発生日時
貞観11年5月26日(869年7月9日)
震源
三陸沖北緯37.5~39.5度、東経143.8度
地震の規模
マグニチュード8.3
被災地域
三陸沿岸(北緯37.5~39.5度、東経143.8度)

津波が陸奥国(東北地方太平洋側)で発生し、甚大な被害があったことが「日本三大実録」に記載されているが、宮古市における被害は不詳。

1611(慶長16)年 慶長奥州(三陸)地震津波

発生日時
慶長16年10月28日 (1611年12月2日)
推定震源
北緯39.0度、東経144.4度
被災地域
三陸沿岸および北海道東岸

昼八つ時(14時ごろ)津波が襲来し、黒田、宮古が騒動し、17時ごろ、大方の水(津波)が引いた。海辺通は一軒もなく波にとられ、人が多く死に、家を取られた人は路頭に迷った。(宮古由来記)
津軽石では、市(いち)が開催されており、150人が死亡したとの記録がある。(盛合家文書)

1896(明治 29)年6月15日 明治三陸地震津波

発生日時
1896(明治 29)年6月15日19時32分
震源
三陸沖 (北緯39.5度、東経144度)
地震の規模
マグニチュード8.2~8.5
震度
4程度
宮古市の震度
2~3
最大津波遡上高
28.7m(綾里湾/現:大船渡市)
宮古市の
津波遡上高
女遊戸19.8m、田老16.8m、姉吉16.6m

明治29年6月15日午後7時32分、三陸沖を震源として起こったM8.2~8.5の巨大地震で、震後約35分で津波到達。第2波が最大で満潮時とも重なり、重茂で10.9m、姉吉18.8m、宮古4.6m、鍬ケ崎9.1m、田老14.6mの津波が来たと記録されている。(宮古測候所所蔵資料)宮古市の被害は、死者・行方不明者3,720人、流出家屋771戸に及びました。(岩手県管内海嘯被害表)

鍬ケ崎町の惨状

津波で道路に打ち揚げられた漁船(港町)

1933(昭和8)年3月3日 昭和三陸地震津波

発生日時
1933(昭和8)年3月3日2時31分
震源
三陸沖 (北緯39.23度、東経144.52度) 
地震の規模
マグニチュード8.1(Mj=8.1)、深さ10km
最大震度
震度5(北海道から静岡県までの太平洋岸)
宮古市の震度
5
最大津波遡上高
28.7m(綾里湾/現:大船渡市)
宮古市の
津波遡上高
姉吉18.2m、田老9.6m、女遊戸8.2m

明治三陸地震の発生から37年後の昭和8年3月3日午前2時31分頃、明治の地震津波とほぼ同じ地域で、三陸沖を震源とするM8.1の地震が発生しました。地震発生から約30分〜40分後には津波の第一波が押し寄せ、重茂で10.8m、姉吉12.4m、宮古町3.6m、鍬ケ崎6.7m、田老10.1mの津波が到達しました。
宮古市の被害は死者・行方不明者1,137人、流出家屋565戸、倒壊75戸、浸水107戸に及びました。(中央気象台)

津波に押し上げられた船で破損した宮古橋(宮古町)

家族を奪われ、津波孤児となった少年(田老町)*

1960(昭和35)年5月24日 チリ地震津波

発生日時
1960(昭和35)年5月23日4時11分
(現地時間1960年5月22日15時11分)
震源
チリ沖 (南緯38.17度、西経72.57度)
地震の規模
Mw9.5、深さ0km
日本での
津波到達時刻
1960年5月24日2時20分
日本での
津波の高さ
5.5m(大船渡)
宮古市の震度
5
宮古市の
津波浸水高
(T.P.上)
金浜5.6m、田老4.3m

5月24日早朝、津波は突如として日本の太平洋沿岸を襲いました。南米チリで5月23日午前4時に発生した巨大地震による津波は、翌日の午前2時ごろから観測され、姉吉で3.0m、宮古2.0m、田老4.3mの津波が観測されました。
宮古市の被害は死者・行方不明者1人、流出家屋76戸、倒壊106戸、浸水213戸に及びました。(岩手県災害関係行政資料)

前須賀(鍬ケ崎港町)最高潮位の浸水状況

閉伊川に架かる国鉄(現JR)山田線の鉄橋

1968(昭和43)年5月16日 十勝沖地震津波

発生日時
1968年5月16日午前9時48分 
震源
三陸北部沖(北緯40.73度、東経143.58度)
地震の規模
マグニチュード7.9
最大震度
震度5
宮古市の震度
4
宮古市の
津波浪高
(T.P.上)
116cm

地震発生から約30分後の午前10時20分、津波の第一波が押し寄せ、宮古で2.16m、田老2mの津波が観測された。
津波の襲来が干潮と重なっていたため、整備された海岸保全施設を越える浸水がなく、人的被害はなかったものの、漁船や水産施設に被害が出ました。(東日本大震災宮古市の記録)

高浜海岸 養殖施設のガレキ

田老漁港 引き波

2011(平成23)年3月11日 東日本大震災津波

発生日時
平成23年3月11日14時46分
震源
三陸沖、牡鹿半島の東南東約130km付近
(北緯38度06.2分、東経142度51.6分) 
地震の規模
マグニチュード9.0 (Mw9.0) (平成23年3月13日気象庁発表) 
最大震度
震度7(宮城県栗原市)
宮古市の震度
震度5強/茂市、震度5弱/五月町、鍬ヶ崎、長沢、田老、川井、門馬田代
宮古市の
津波遡上高
重茂姉吉地区40.5m(学術合同調査グループ発表)
田老小堀内地区37.9m(東大地震研究所発表)

14時46分に発生した「東北地方太平洋沖地震」は、三陸沖約130㎞、深さ約24㎞を震源に、太平洋沖南北500㎞を震源域とするプレート境界域に発生した海溝型の巨大地震です。マグニチュード9.0は国内観測史上最大で、1960年のチリ地震津波等に次ぐ、1900年以降4番目の巨大地震となりました。北海道から沖縄にかけての市内沿岸部で高い津波が観測されました。
津波遡上高は、宮古で8.5m以上、姉吉で40.5m、田老小堀内で37.9mが観測され、死者・行方不明者517人、全壊5,968棟を含む9,088棟が損壊したほか、多くのインフラ施設等も被害を受け、市の被害総額は、約2千457億円と未曾有の被害となりました。(東日本大震災宮古市の記録)

宮古工業高校の校庭になだれ込む津波(提供:前川均)

上の写真から数分後。瞬く間に辺り一面が海と化した(提供:前川均)

※写真提供(東日本大震災を除く) :宮古市教育委員会[旧宮古測候所所蔵]
(*昭和津波「津波孤児になった少年」は宮古市所蔵)
※写真出典(東日本大震災):「広報みやこNo.139(2011年6月1日号)」

<参考文献>
宇佐美龍夫(2003)『最新版日本被害地震総覧[416]-2001』東京大学出版会
中央防災会議:災害教訓の継承に関する専門調査会(2005)「1896明治三陸地震津波報告書」「1960チリ地震津波報告書」
総務省消防庁データベース「現在までに語り継がれる『災害』について」
▶ https://www.fdma.go.jp/publication/database/database009.html
中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」第1回参考資料「過去の災害一覧」(2003)
▶ https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/1/index.html
※宮古市の震度、津波の高さについては「宮古市総合ハザードマップ2018」、「東日本大震災宮古市の記録 第1巻《津波史編》」より抜粋。