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東日本大震災【4】“命てんでんこ”を語り伝える、それが私たちの役割

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“命てんでんこ”を語り伝える、
それが私たちの役割

「生きるために逃げるんだ」「何があっても生き延びろ。命はてんでんこ。生きていればなんとかなる」
宮古市は、幾多の津波にも屈せず立ち上がり、自然を愛し自然と向き合いながら、まちの歴史を刻んできました。自然災害が年々増加し、その様相も激甚化・多様化する近年、ますます災害への備え、教訓の共有が重要になっています。
私たち宮古市民は、私たちの先祖や先人たちが語り継いでくれた“同じ悲劇を二度と繰り返してはならない”との願いと教えを決して忘れることなく、津波から生きのびるためには何よりも率先避難することが大切であることを知っています。そして、災害の経験と教訓を後世に伝え、来る災害に備えていくことこそ、今を生きる私たちの大切な役割です。

「津波防災に取り組み続ける先駆けの地」として

宮古市では、2029年度を目標年次に本市の将来進むべき方向や目標を定めた総合計画において、安全で快適な生活環境づくりの“基本事業”のひとつとして「災害教訓の伝承・情報発信」を掲げ、その取り組みを積極的に推進しています。また、東日本大震災から10年目の2021年には「津波防災都市宣言」を行い、津波防災・減災への取り組みをさらに推進することを誓いました。

「津波防災都市宣言」(令和3年宮古市告示第29号)

 宮古市は、明治29年、昭和8年、平成23年と、度重なる大津波により壊滅的な被害を受け、多くの尊い人命と貴重な財産を失ってきました。そのたびに市民の不屈の精神と深い郷土愛により被害を克服し、今もまた東日本大震災からの復興の歩みを進めています。
 私たちは、津波災害から学んだ多くの教訓を胸に、その歴史を忘れることなく、時代により移り変わる災害への対処と地域防災力の向上に努め、積み重ねた英知を次の世代へと引き継いでいきます。
 東日本大震災に罹災した日、御霊の鎮魂を祈念し、一人の犠牲者も出さないことを誓うとともに、市民一人ひとりが津波防災に取り組み続ける先駆けの地となるため、ここに宮古市を「津波防災都市」とすることを宣言します。

「私たちは津波を語り継ぐ役割を与えられた」

宮古市には、東日本大震災の凄まじさを伝える震災伝承施設が10件あります。なかでも津波遺構第1号である「たろう観光ホテル」と、100年余り津波とたたかってきた宮古市の歴史を伝える「田老防潮堤」は、津波災害をリアルに生々しく伝えてくれる施設です。
これら2つの施設を案内してくれるのが、宮古観光文化交流協会による「学ぶ防災ガイド」です。東日本大震災により甚大な被害が出た田老地域の当時の状況を伝えることで、震災の恐ろしさ、命の大切さを伝える震災ガイドで、防潮堤の上での案内、被災した状態で保存されている「津波遺構たろう観光ホテル」の館内案内、津波発生時の映像の上映をとおして、「自然災害の恐ろしさ」と「命てんでんこの率先避難の大切さ」を伝えてくれています。
「私たちは津波を語り継ぐ役割を与えられた」と語る学ぶ防災ガイドのお話は、災害の記憶と経験、教訓を決して忘れることなく風化させることなく、来る災害への備えとするためにも、現在を生きる私たちこそが災害の教訓を必ずや後世に語り継がなければならないことを教えてくれます。

<参考資料>
山下文男(1982)『哀史 三陸大津波 歴史の教訓に学ぶ』 河出書房新社
山下文男(2005)『津波の恐怖 ―三陸津波伝承録―』 東北大学出版会
山下文男(2003)歴史地震 第19号『三陸海岸・田老町における「津波防災の町宣言」と大防潮堤の略史』p.165-171.
高山文彦(2012)『大津波を生きる 巨大防潮堤と田老百年のいとなみ』 新潮社
宮古郷土誌編集委(1974)『宮古のあゆみ』 宮古市役所
田老町誌編纂委員会(1971)『田老町誌(第一集)防災の町』 田老町教育委員会
田老町(1988)『津波と防災-語り継ぐ体験-』 田老町
田老町企画調整課(1990)『田老生誕100周年記念誌』 田老町
田老町教育委員会編(2005)『田老町史 津波編(田老町津波誌)』 田老町
中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」「過去の災害に学ぶ」「災害史に学ぶ(海溝型地震・津波編)」
▶ https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/index.html

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