前史・慶長奥州(三陸)
地震津波
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明治三陸地震津波
昭和三陸地震津波、チリ地震津波
東日本大震災

明治三陸地震津波【1】田老ほぼ全滅 、生存者36人からの復興

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田老ほぼ全滅 、
生存者36人からの復興

宮古市制30周年記念誌『宮古のあゆみ』(1974年)によると、1896(明治29)年は「1年間に189回という最多の地震数を記録している」とあり、この年、当時、世界史上第2位、日本史上最大と言われたマグニチュード8.2-8.5の巨大地震が発生したのは6月15日夜19時30分過ぎでした。宮古の震度は2と比較的小さな地震で、旧暦の端午の節句であったため、津波発生時は一家そろってお祝いをしていた家庭が多く、海の方から聞こえてくる大砲にも似た音を聞き、驚いて外に出た人々が見たのは、水しぶきをあげながら迫ってくる巨大な波の壁でした。

震度は小さくても大津波を引き起こす「津波地震」

旧宮古測候所の記録では地震から約18分後に海水が引き、20時7分に遠雷のようなごう音とともに大津波襲来、第2波が最大の波高で8.5mあり、それから増減8回繰り返したとあります。明治の頃は、「地震が来たら津波に備える」と考える人は少なく、この時は大地震ではなかったため、津波が間近に来るまで気づかず、多くの命が奪われました。このように地震の揺れが弱くても、大津波だけを発生させるタイプの地震を「津波地震」と言いますが、このことは覚えておくべき教訓です。

(写真左)鍬ケ崎上町より撮影した津波の惨状 
(写真右) 宮古町光岸地の惨状
写真:宮古市教育委員会所蔵[旧宮古測候所提供]

多くの村が被災前の原地に
集落を再興

当時、村であった田老地域は全村345戸が残らず全滅、人口2,248人中1,867人、83.1%の村民が死亡、出漁中の漁師や出稼ぎ者を除き、生存者はわずか36人との記録が残っています。宮古地域で被害がひどかった地域は鍬ケ崎町、磯鶏、高浜、金浜、重茂などです。
被災後は、住民の他県への流出や移住を抑制するための説得や、漁業再興のための被災地への移住促進が図られたとのこと。そうした中で、自己負担が中心の高地移転が行われましたが、慣れない生活などの不便さなどから被災した低地へ戻る集落も多かったといいます。田老をはじめ多くの地域が被災前の原地で再興することとなり、三陸沿岸の町村の多くは、歴史的に見れば非常に短いわずか37年後の昭和三陸地震津波(1933年)で再び津波被害に見舞われることとなりました。

明治三陸地震津波後の高地移転等の対応とその後

田老村田老
(現:宮古市)
【明治三陸地震津波:最大津波高15m(場所:田老漁港製氷貯氷施設付近・宮古市HP)】
義損金を基金として2mの盛土により宅地造成の計画をたてたが、意見の不一致と資金難のため、道路沿いに約50cm盛土することに終わって原地復興の型となった。(建設省国土地理院『チリ地震津波調査報告書』(1961)/p.75)
【昭和三陸地震津波:最大津波高10m(場所:田老漁港製氷貯氷施設付近・宮古市HP)】 高地移転の意見もあったが、500戸を収容する適地がないので、原地の区画整理(耕地整理)により宅地を造成し、防浪堤によって囲む計画を実施した。 防浪堤は900mまで完成して戦時中に中止されたが昭和33年、延長1,350m、上幅3m、根幅最大25m、高さ7m、海面上10.65mの大防浪堤を完成した。(建設省国土地理院『チリ地震津波調査報告書』(1961)/p.75)
【東日本大震災:最大津波高17.3m(場所:田老漁港製氷貯氷施設・宮古市HP)】 海沿いに面した平地の市街地は、津波が防潮堤を超え浸水。震災後、海側の第一防潮堤を高さ14.7m、第二防潮堤を高さ10mに整備。浸水した国道は、山側に変更し2mかさ上げ。高台移転するための団地を造成。
崎山村女遊戸
(現:宮古市)
【明治三陸地震:遡上高 -】
約1,000m後方の緩い傾斜地になっている沢に移り、ここに復興した。これも他のものと同じように自力移転をして、組織的復興計画ではないため各戸が点在してしまった。(内務大臣官房都市計画課『三陸津波に因る被害町村の復興計画報告』(1934))
【昭和三陸地震:遡上高 -】 戸数23戸のうち僅かに1戸だけ些少の浸水被害をうけただけで、人口184人中1名の死傷者も出さなかった。(内務大臣官房都市計画課『三陸津波に因る被害町村の復興計画報告』(1934))
【東日本大震災:津波浸水高15.19m(場所:女遊戸海岸・東日本大震災宮古市の記録 第1巻)】 移転先の沢でも海から最も距離のある場所は浸水も免れているが、集落の6割以上の地域で浸水、流出家屋も3割ほどみられる。

中央防災会議(2011年7月)「東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会
第5回会合/参考資料1今回の津波における高地移転等を行った地域の状況」より引用
▶https://www.bousai.go.jp/kaigirep/chousakai/tohokukyokun/5/index.html

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