前史・慶長奥州(三陸)
地震津波
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明治三陸地震津波
昭和三陸地震津波、チリ地震津波
東日本大震災

明治三陸地震津波【2】家庭で語り継がれてきた“てんでんこ”の教え

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家庭で語り継がれてきた
“てんでんこ”の教え

田老地域の田畑ヨシさんは生前、明治三陸地震津波(1896年)を一家でただ一人生き残った祖父から、「津波の時は、てんでんに逃げろ」と常々言われていたと語っていました。三陸地方では、明治の大津波を生き抜いた親から子へ孫へと、津波の恐ろしさとともに、「自分の命は自らが守らなければならない」という「命てんでんこ」の教えを家庭内で言い伝えてきました。
昭和三陸地震津波やチリ地震津波を経験した人たちによる作文や体験記によって、明治以降のさまざまな家々での語り伝えの様子を知ることができ、また、語り継いでいくことの大切さを改めて知ることができます。

「私は、ほんとに独りぼっちの児になったのです。」

昭和三陸地震津波から1年後の1934年に旧田老村が発行した『田老村津波誌』(田老尋常高等小学校編)には、代表の生徒数人の作文が掲載されています。その中に、昭和の大津波で家族全員を失くしてしまった牧野アイさん(当時6年生)の作文があります。アイさんの作文には、深夜に自宅から赤沼山へ避難する様子や家族の死を知らされた時の様子などが綴られており、「私は、ほんとに独りぼっちの児になったのです」と結ばれています。この作文は以降、旧田老町の防災冊子などに再録され続けました。また、この作文は、作家・吉村昭の目にとまり、著書『三陸大津波』(文春文庫)にも掲載されています。

牧野アイさんの作文

生徒の作文や証言が伝える、家庭内での
語り継ぎ

岩間芳子さんの作文

岩間さんは、1960年5月、高校2年生の時にチリ地震津波を体験しました。
1991年に、高浜自治会が発行した「チリ地震津波より30年あの惨状を振り返って」には、1896年の明治三陸地震津波を体験した父からの教えと自身の体験から「津波は必ず来る」を語り伝えていく決意が記されています。

津波

小さいころから私は父の語る津波の怖さを聞いて育ってきました。何回も何回も、ことあるごとに聞かされました。
明治29年の明治三陸大津波は、父が1歳2か月の時です。
(中略)倒れた残骸の中から、なにか泣き声が聞こえるということで、取り除いてみたら、こと切れた母親の背中で子供だけは命があったという訳なのです。それが、私の父だったのです。何日も何日も泥を吐いたそうだと聞かされました。(中略)「津波は必ず来る」ということを肝に命じ、後世に語り伝えて行くべきと思います。

吉水義夫さんの証言

吉水さんは、1933年3月、中学3年生の時に昭和三陸地震津波を体験しました。
1991年に、旧田老町教育委員会が発行した「伝聞ふるさと津波誌(三陸大津波)」には、祖母の教えと漁師の知らせにより難を逃れ、人的被害を防ぐためには、日頃の津波に対する注意と襲来時のいち早い通報が重要と記されています。

津波の逃避体験

寒い雪の降る夜などは、炉端で祖母は水につけて凍ったジャガイモの皮むきをしながら昔話をしてくれた。
油断できない。津波はまたいつか来る。
地震がゆったら、赤沼山へ逃げろと教えてくれた。大正の終わり頃の話になる。
(中略)「水がひけた、水がひけた」と叫んで、浜より逃げてくるその声に驚き津波だと直感、赤沼山に逃げた。祖母の教えと漁師の人々の知らせで、命が助かったと思っている。

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