1896_0617_3_明治三陸地震津波_昨夜釜石町海嘯の為全町過失流失、人畜の死傷多し、電信局も流失、電信不通
1896_0618_1_明治三陸地震津波_大海嘯大惨害状況視察として本社員を被害各地へ派遣した
1896_0618_2_明治三陸地震津波_釜石全町市街流失死亡 五千余名死体収集及び負傷者救護のため混雑なり
1896_0618_3_明治三陸地震津波_大海嘯大惨害果報
1896_0619_3_明治三陸地震津波_大海嘯大惨害果報
1896_0620_2_明治三陸地震津波_大海嘯大惨害果報
1896_0621_2_明治三陸地震津波_各被害地へ派遣人夫 大海嘯大惨害果報 津波被害町村別調
1896_0621_4_明治三陸地震津波_海嘯罹災者救済義援金募集広告
1896_0621_3_明治三陸地震津波_大海嘯の原因
1896_0622_2_明治三陸地震津波_災害地出張日記(第二報)
1896_0623_3_明治三陸地震津波_三海嘯災民救助事務所 水産業の前途を奈何せん
1896_0622_3_明治三陸地震津波_災害地出張日記(第三報)
1933_0304_号外_昭和三陸地震津波_深夢を破る地震 海岸は津波が襲う 宮古町海岸は倒壊家屋多く
1933_0304_第二号外_昭和三陸地震津波_三陸大津波第二報 驚いて山に逃れ消化努むる者なし 火に包まれた釜石
1933_0304_第三号外_昭和三陸地震津波_三陸災害写真書報
1933_0304_2_昭和三陸地震津波_死者四百七十七名五百十四戸流失す 役場、学校等無事なるは六戸 田老村全滅の悲運
1933_0304_3_昭和三陸地震津波_東海岸大津波後報 不気味な釜石町に不安の一夜を送る
1933_0304_夕刊1_昭和三陸地震津波_東海岸大津波後報 各地の被害刻々 午前十一時半現在流失千六百五十九戸
1933_0304_夕刊2_昭和三陸地震津波_県の応急救助計画 罹災救助基金増額を附議
1933_0305_2_昭和三陸地震津波_東海岸災害地救済対策 復興助成方法に追加予算の増額
1933_0305_3_昭和三陸地震津波_なんという悲惨!一村微塵ただ広漠
1933_0305_4_昭和三陸地震津波_甲斐々々しく焦土に電柱 釜石 復興の意気を見る
1933_0305_夕刊1_昭和三陸地震津波_東海岸地方津波の跡 惨禍の田老を行く 海岸には死体累々
1933_0305_夕刊2_昭和三陸地震津波_東海岸災害地救済対策 復興助成方法に追加予算の増額
1933_0305_夕刊3_昭和三陸地震津波_なんという悲惨!一村微塵ただ広漠
1933_0306_号外_昭和三陸地震津波_惨鼻の浜を行く 奇蹟、九死に一生 漁夫鈴木君遭難談 海上を釜石から山田迄
1933_0306_2_昭和三陸地震津波_災害地復興へ 続々判明する被害額
1933_0306_3_昭和三陸地震津波_熱烈な救援運動 全機能を発揮して物資の配給順調
1933_0307_3_昭和三陸地震津波_最初の復興委員会 きのう県庁で開会
1933_0307_4_昭和三陸地震津波_産業被害額 漁業九百九十二万円、畜産五十七万円、山林五十六万円
1933_0308_夕刊1_昭和三陸地震津波_震災善後処理部 きょう県庁に新設 活動機能等につき協議
1933_0308_夕刊2_昭和三陸地震津波_罹災救援に活動の在郷軍人動員一万 復興事業にも助力
1933_0308_夕刊3_昭和三陸地震津波_焦土に雪 救援隊・見舞客 来町した一万
1933_0309_夕刊1_昭和三陸地震津波_震災復旧、復興費 県連合協議会に提出
1933_0309_夕刊2_昭和三陸地震津波_東海岸津波記録 きょう正午 盛岡測候所発表 余震は漸次鎮静す
1933_0309_夕刊3_昭和三陸地震津波_各方面一致の努力に 救護全く行き届く
1933_0310_夕刊1_昭和三陸地震津波_畏き聖旨を伝え罹災患者を慰問 大金侍御一行宮古着 きょう田老村に向う
1933_0310_夕刊2_昭和三陸地震津波_大津波余聞集 学用品が皆無で校長さんも呆然
1933_0310_夕刊3_昭和三陸地震津波_我家の流出も顧みず 非常警戒に当たっている 二巡査の美談
1933_0311_3_昭和三陸地震津波_災害線を行く(A) 田老 焦土に満ち満つ復興
1933_0315_夕刊3_昭和三陸地震津波_田老は何処へ行く 津波避難感想断片
1933_0316_夕刊2_昭和三陸地震津波_海中捜査せしも何物もこれなく候 潜水臺で二名だけ死体を発見
1933_0317_3_昭和三陸地震津波_死体から盗んだり配給品荒したり 宮古署二十五件検挙
1933_0318_2_昭和三陸地震津波_補助八割低資二割で小船 六千隻建造を決定
1933_0321_4_昭和三陸地震津波_大津波見聞記 田老と小本港
1933_0324_3_昭和三陸地震津波_余震実に八百回に及ぶ 記録的な震災後の二十日間
1933_0405_夕刊3_昭和三陸地震津波_罹災地出身の在満兵の驚き 宮古署へ感激の五円
1933_0411_夕刊2_昭和三陸地震津波_何々丸と叫ぶ声に津波かとびくつく 何か合図をと相談
1933_0505_夕刊3_昭和三陸地震津波_涙ぐましい努力 一路復興へ 下閉伊の各町村案外早く復興か
1933_0513_4_昭和三陸地震津波_震災地各町村 住宅移転計画進捗状況
1933_0704_2_昭和三陸地震津波_防波堤建造其他五百万円に削減 さらに大蔵で削減か
1933_0715_夕刊1_昭和三陸地震津波_田老村三濱漁組 知事の説得で合併
1933_0718_夕刊2_昭和三陸地震津波_津波の惨死体が砂浜にごろごろ 下閉伊田老村で
1933_0727_夕刊1_昭和三陸地震津波_本県海岸部を安全地帯に移転 中央に公民街を造る 震災復興計画案成る
1934_0304_夕刊1_昭和三陸地震津波_早くも津波一周年復興春と共に輝く 災禍に備える意気
1953_0301_3_昭和三陸地震津波_蘇る惨禍の恐怖 三日は三陸津波の二十周年 一瞬に三千の生霊
1958_0301_夕刊3_昭和三陸地震津波_城壁の町田老・今月完成 三千人の生命守る どんな津波でも大丈夫
1958_0303_3_昭和三陸地震津波_きょう三陸津波25周年 警報伝達や避難 ”惨事繰返すな”の訓練
1947_0916_1_カスリーン台風_水禍三たび県下を襲う 冠水各地に続出 出水量は前回の記録を破る
1947_0917_2_カスリーン台風_キャサリン台風大暴れ 明治橋で四.三〇米 堤防の決壊数知れず
1947_0919_2_カスリーン台風_惨たる水魔暴威の跡 屋根に脱出した穴 進駐軍飛行機から物資投下
1947_0921_2_カスリーン台風_増水十六米余 明治四十三年の記録を突破
1948_0918_1_アイオン台風_内閣に水害対策委員会 きょう臨時閣議開く
1948_0918_2_アイオン台風_水禍に必死の抵抗空し 一関の死者二千余 日形濁流の底に沈む
1948_0919_2_アイオン台風_大水害の全貌漸く明らか 宮古百七十戸流出 「急ぎ衣食を頼む」
1948_0921_2_アイオン台風_惨・三陸津波以上の宮古 二百二十戸海に吞まる 漁業会長らも九死一生
1948_0921_1_アイオン台風_宮古市惨害の第一報 中央と密接に連絡 災害救助県の応急態勢成る
1948_0922_2_アイオン台風_藤原(宮古)の地獄絵図 土蔵に七つの死体 折重って二百五十戸濁流へ
1948_0926_2_アイオン台風_大水害現地の声を聞く 一関・宮古で罹災座談会
1948_1001_3_アイオン台風_被害昨年よりも遥かに大 死者(行方不明)八百四十七 被災総数は十九万余
1948_1002_2_アイオン台風_海内連絡鉄道を争奪 山田線六億の被害 この機に釜石線の促進運動
1954_1121_1_アイオン台風_山田線 必ず復旧させる 藤井課長談、運輸省に対策委
1954_1122_3_アイオン台風_宮古の初荷は海の幸 きょう処女列車に満載
1960_0524_夕刊1_チリ地震津波_大津波、太平洋岸を襲う 三陸海岸、壊滅にひんす
1960_0524_夕刊3_チリ地震津波_惨!津波のツメ跡 大船渡で17人死ぬ 刻々増える被害
1960_0525_1_チリ地震津波_三陸沿岸の被害甚大 大船渡、廃墟と化す
1960_0525_4_チリ地震津波_被災地の惨状(写真)
1960_0525_5_チリ地震津波_泥海と化した ツメ跡の上を飛ぶ 人影もなく無気味
1960_0525_6_チリ地震津波_予知できなかったか 不意打ち津波 ”実害ない”と判断 無視されたハワイ情報
1960_0525_7_チリ地震津波_身の毛もよだつ”黒い潮” 緑の郷土、一朝にして泥海
1960_0525_夕刊1_チリ地震津波_県、災害復旧に全力 空から資料集め
1960_0525_夕刊2_チリ地震津波_水産関係にも大打撃 津波の被害と対策 カキだな五百台失う
1960_0526_2_チリ地震津波_良港一変するむごさ 海に浮かぶ屋根、ずたずたの鉄道 絶望から立ち上がる
1960_0526_5_チリ地震津波_県民の援護にささえられ災害の復興急速調 町ぐるみ奉仕続く
1960_0527_2_チリ地震津波_被災者は訴えている ”緊急”のサイレンを うわべの復旧はご免
1961_0530_1_三陸フェーン大火_県北沿岸に山火事の猛威 宮古では百戸 国道も火の海で途絶
1961_0530_夕刊1_三陸フェーン大火_猛火の被害甚大 県北沿岸の惨状 七四二世帯を消失 田老鉱山住宅は全滅
1961_0530_夕刊3_三陸フェーン大火_焦土と化した田老鉱山 どっと”炎の津波”一瞬に四百戸をのむ
1961_0531_4_三陸フェーン大火_沿岸大火時の気象 フェーン風が原因 条件揃っていた大火
1961_0531_夕刊3_三陸フェーン大火_最小限に食い止めた犠牲 陰に消防団の適切な措置
1961_0531_5_三陸フェーン大火_救援の手を待っている! 生きる道奪われて ぼう然自失の被災者
1961_0531_1_三陸フェーン大火_被害総額37億円越す 火災・風害の県集計 山林消失は24億円余
1961_0601_4_三陸フェーン大火_設備近代化を目ざす 復旧の意気高い田老鉱山
1961_0605_夕刊3_三陸フェーン大火_あれから一週間 被災地の表情 ”住”の心配解消せず
1968_0516_夕刊3_十勝沖地震津波_ゆらぐ台地に県民おののく 津波襲来!!高鳴る警報
1968_0517_1_十勝沖地震津波_十勝沖地震の被害増大 北日本に余震の追い打ち
1968_0518_1_十勝沖地震津波_被害額は八億円 水産関係が半分以上も
1968_0518_4_十勝沖地震津波_津波の被害が大きい 本県の場合 原因は「リアス式」波の高さも倍化される
1968_0521_1_十勝沖地震津波_被害総額は24億円 水産関係が72%占める
2011_0312_1_三陸沖M8.8大津波 死者数百、不明多数
2011_0312_2_初の巨大複合災害
2011_0312_3_信号動かず交通まひ 水道管が破裂、断水も
2011_0312_3_大津波 街のみ込む
2011_0314_2_日常引き裂く激浪 わが町跡形もなく
2011_0314_3_日常引き裂く激浪 わが町跡形もなく
2011_0315_16_寒さ対策と水分補給を 県立宮古病院
2011_0316_18_物資運搬、若者が担う 宮古の避難所で田老一中生
2011_0317_18_母の顔、せめてもう一度 津波から生還の山根さん(宮古商高)
2011_0318_18_疲れを癒す入浴サービス 宮古・湯ったり館
2011_0320_16_ボランティア 本格化 宮古 センターを拠点に活動
2011_0320_16_住民ケアへ法律相談会 宮古・小口弁護士
2011_0320_16_宮古市民の台所踏ん張る 魚菜市場 物流滞るなか、営業
2011_0320_16_店主たちの心意気熱く 宮古の末広町商店街徐々に再開
2011_0321_13_「田老の夜空真っ赤」 沖に避難した中村さん(宮古) 船で2泊、恐怖語る
2011_0322_12_助っ人は生徒、卒業生 高齢者元気づける 避難所の宮古二中
2011_0322_13_臨時ラジオ、市民元気に 宮古 研究会が放送を開始
2011_0322_14_被災ペット行き場なく 動物病院は満杯状態 避難所でトラブルも
2011_0322_15_帰されても生きていけない 生活再建募る不安
2011_0322_2_被災者用住宅の申込用紙配布へ あすから宮古市
2011_0323_16_冷静な購入、高校生が喚起 宮古のスーパー ボランティアで活躍
2011_0323_18_実習船の生徒帰郷 ハワイ沖から空路、陸路で
2011_0323_20_5日間の孤立互助で耐える 宮古・千鶏
2011_0324_18_命支えるネット復活
2011_0324_18_防災無線から「頑張ろう」宮古市長、毎朝呼び掛け
2011_0324_20_体調の不安和らげ 宮古医師会巡回診療
2011_0326_16_銀幕から夢と元気を 宮古の「シネマリーン」きょう上映再開
2011_0326_20_被災者和ます93歳 宮古北高に避難の赤沼さん「みんな、笑顔を」若い世代に経験伝える
2011_0327_19_雪の中続く懸命な捜索 宮古・田老
2011_0328_12_津波被害記録に奔走 宮古の川戸さん 「真実伝えたい」
2011_0328_14_自分にしかできない医療を 宮古・田老出身の山本医師(東京) 応援診療で郷里入り
2011_0330_18_田老復興へ思い一つ 家失った宮古市消防団員ら 共同生活し活動継続
2011_0330_2_宮古市 避難所を順次集約 物資や情報伝達効率化
2011_0331_19_「美しい浄土ヶ浜再び」 観光関係者がれき撤去 宮古
2011_0403_16_住民自ら道を復旧 宮古・樫内地区
2011_0403_20_生きた教訓
2011_0404_2_宮古・田老37.9メートル到達 津波遡上高で市場最大級に
2011_0405_20_宮古市 きょう広報特別号発行 不安解消へ情報発信
2011_0406_15_経営再建の相談窓口開設 宮古 ワンストップ対応
2011_0406_19_宮古で震災後初の出漁 津波の被害免れた10隻「まずは仕事を」
2011_0407_16_熱々ラーメン母校に 宮古の店主河南中で調理
2011_0407_20_教員ら手作り更衣室 宮古小体育館 女性着替えの場確保
2011_0407_9_セーリング(宮古)被害深刻 北東北IH本県競技会場 半数の6施設損壊
2011_0408_5_犠牲者に無償の読経 宮古 住職有志、宗派超え
2011_0408_6_仮設住宅地に店舗設置 宮古・田老の商店主組織
2011_0410_9_津波の猛威まざまざ 長年の防災策粉砕 新たな教訓復興計画に
2011_0410_20_生活再建専門家が助言 くらし相談スタート 宮古
2011_0410_22_若い力被災地に活力 宮古高佐々内君 救援物資仕分けに汗
2011_0412_22_希望照らす夢灯り 宮古 市民が1500個ともす
2011_0413_1_姉妹で運ぶ物資と笑顔 宮古・被災の松田優奈さん(12)凛奈さん(10)
2011_0419_18_宮古 避難所間仕切りに賛否 住民同士の合意不可欠
2011_0421_18_企業の「安否」情報紙に 宮古の被災印刷会社 無料掲載で発行へ
2011_0421_18_冠水 地盤沈下影響か 大潮の宮古 旧魚市場前
2011_0422_21_避難長期化「もう限界」 宮古の女性 息子が重病、募る不安 仮設住宅入居も見えず
2011_0422_2_義援金の申請27日から窓口 宮古市
2011_0428_23_ありがたい でも不安 義援金申請宮古で開始 被災者の思い複雑
2011_0429_23_震災乗り越えサケ旅立ち 宮古・磯鶏小稚魚放流
2011_0430_11_被災の産直 春芽吹く 宮古出崎組合 仮設テントで第一歩
2011_0430_24_明日への一歩⑳ 休館の危機に特別号 タウン誌編集者 創業者の思いを胸に
2011_0501_4_仮設入居3日から 宮古市に81戸引き渡し
2011_0504_1_再興への道 いわて東日本大震災 検証と提言 第1部 防災対策(4) 通信断たれ集落孤立 財政理由に備えなく
2011_0512_23_伝統の銘菓 絶やさぬ 宮古の製造販売「すがた」20日ごろ営業再開 従業員再雇用
2011_0513_24_47トン船飛んだ 宮古市消防団員が撮影 大津波に間一髪
2011_0515_20_老舗の食堂きょう仮設テントで再開 宮古・田老
2011_0516_23_避難住民買い物満喫 宮古田老 仮設共同店舗が開店
2011_0516_2_宮古・田老 グリーンピア復興活用 宿泊部門の契約解除へ
2011_0522_25_重茂ワカメ喜びの収穫 宮古 共同で震災後初
2011_0524_20_浄土ヶ浜観光拠点再開 宮古
2011_0530_1_県 沿岸にエコタウン 太陽光や風力活用 復興ビジョン 災害時自給目指す
2011_0531_20_生活再建へ相談室 宮古・きょう開所
2011_0603_22_漁出る日目指し がれき撤去開始 宮古漁協組合員
2011_0604_28_津波の語り部になって 祖父の教えが命守った 紙芝居で伝承の田畑さん(宮古田老)
2011_0609_26_待ってました 宮古に外航船 香港の5000トン級 震災後初めて入港
2011_0611_24_津波写真号に反響 宮古市広報 増刷9000部残らず 復興願いHPでも掲載
2011_0612_26_宮古あきんど 力合わせ 中心商店街で復興市 市民ら買い物満喫
2011_0612_5_元気な宮古へ発想募集 事業創出し被災者雇用 市が経費を全額支援
2011_0616_20_津波で流出→発見 奇跡の石碑の大漁祈る 宮古
2011_0616_23_迫る黒い波 もう駄目か 宮古の石曽根さん 電柱一本 奇跡の生還
2011_0618_22_戻ったガラス乾板 写真店経営の津田さん(宮古田老) 昭和三陸津波の記録 流失金庫を発見
2011_0623_26_「奇跡の酒」出荷 宮古の菱屋酒造店 きょうから販売
2011_0623_26_被災地を歩く 東日本大震災 本紙記者ルポ(10)
2011_0624_24_中学生に自主学習の場 宮古・くらしのサポーターズ
2011_0625_23_津波悲劇に終止符を 宮古・玉沢さん あす市慰霊祭で追悼の言葉 両親が犠牲 募る無念 祖父も78年前父母を失う
2011_0626_23_勇壮な舞復活 避難所に元気 宮古・黒森神楽が公演
2011_0702_27_津波語り部 若き息吹 宮古・田老 32歳箱石さん 伝え続ける意思固く
2011_0703_25_仮設暮らし孤独と不安 少ない交流 届かぬ情報 気付きは・・・ 宮古・田老 自治会機能せず
2011_0709_23_フランス初 漁業支援 宮古田老 救命胴衣や雨具届く
2011_0714_27_希望運ぶ初入港 宮古 藤原埠頭にコンテナ船
2011_0717_27_浄土ヶ浜観光の足に 宮古 バス無料運行始まる
2011_0717_31_浄土ヶ浜に久々の歓声 遊覧船4カ月ぶり再開 宮古
2011_0718_25_復興祈願 黒森「舞込み」 宮古・規模縮小神社例大祭
2011_0719_27_重茂地区犠牲者50人の冥福祈る 宮古で合同葬
2011_0721_23_復興へ「地蔵」と絵はがき 物産展で販売、配布へ 宮古観光協会
2011_0724_26_避難場所確認「わかった」 親子でウォークラリー 宮古小
2011_0724_29_宮古ニシン漁に希望 震災後初めて稚魚確認
2011_0728_4_宮古市復興計画策定 地区別青写真難航か 「元の場所」「高台移転」異なる意見交錯
2011_0730_26_田老の避難所全て閉鎖へ あすグリーンピア最後に 宮古
2011_0730_29_待望ウニ漁口開け 宮古・重茂 例年の2カ月遅れ
2011_0731_26_被災事業主が共同店舗 宮古・田老 職域超え組合設立 商業展開へ移動販売も
2011_0803_25_舫い 浜に生きる (23) 石浜漁港(宮古) 命の船守った11人衆
2011_0805_27_宮古・田老のグリーンピア 宿泊受け入れ再開 きょうから
2011_0806_30_1年物マガキ冬から販売 宮古湾の養殖組合 復興へ出荷早める
2011_0806_8_宮古漁協、震災被害71億円 来年度のカキ回復目指す
2011_0812_31_追悼 復興の夢灯り 震災5カ月 宮古・田老 2300個、防潮堤に並ぶ 住民、悲しみと決意交錯
2011_0822_25_田老の声 政府に届け 津川本部長と意見交換 宮古でNPO
2011_0915_1_宮古の津波39.7メートル 明治三陸地震超え史上最大
2011_0917_5_復興・教育支援基金を創設 宮古市、寄付金など集約
2011_0929_4_19年度を目標に復興 宮古市検討委 基本計画案まとめる
2011_1025_4_防潮堤14.7メートル踏まえ議論へ 宮古・地区別復興計画検討会 きょう田老で初会合
2011_1029_4_浸水2メートル超は建築規制 宮古市検討委 復興基本計画を承認
2011_1031_1_再興への道 第5部 復興計画(8) 宮古・田老「百年の計」 構造的課題の解決を
2011_1101_4_住宅規制住民意向に応じ 宮古市長が方針 復興計画を正式決定
2011_1106_11_津波の記憶次代に 津波防災の日宮古でシンポ 地震対策千年単位で
2011_1112_23_活性化へモノレール構想 宮古・鍬ケ崎復興検討会 まちの未来提案
2011_1128_27_復興道路 松山-崎山 測量着手へ 宮古皮切りに説明会
2011_1206_21_被災地を歩く (1)復興見据え奮い立つ 宮古市田老地区
2011_1228_23_被災地を歩く (15)新たな街づくり模索 宮古市新川町
2012_0106_25_「一部」「全戸」移転を併記 宮古・田老の住民組織 まちづくり素案決定 意見集め来月復興計画
2012_0131_25_田老地区、一部移転に 宮古の検討会 まちづくり案を決定
2012_0223_25_公営住宅は高台に 宮古・田老地区の復興計画案 かさ上げ地に建てず 住民検討会 浸水区域にも宅地
2012_0318_4_宮古港本格復旧へ着手 出崎防波堤来月から 国事業着工式
2012_0319_33_復興国立公園構想 美観ルートたどる 宮古でモニターツアー
2012_0323_2_12年度沿岸12市町村 予算に見るまちの復興(7) 宮古 区画整理事業を導入
2012_0415_4_復興道PAに避難路 「三陸沿岸」宮古・津軽石 住民提言、整備へ 新規路線で初 車両口と階段
2012_0416_4_水門方式 批判相次ぐ 宮古で住民説明会 県、理解求め継続へ
2012_0421_4_水門計画 市議会が容認 堤防かさ上げ求める意見書 特別委が否決 宮古
2012_0517_1_電力を「地産地消」 宮古市が国認定目指す 太陽光や水力活用 官民で雇用創出
2012_0524_4_JR山田線復旧 復興相に要望書 宮古市長
2012_0527_25_被災地に生きる 宮古・田老の今 再建 長い道のり一歩 高台移転計画が始動
2012_0528_23_田老復興へ活発意見 宮古 住民協議会スタート
2012_0622_4_宮古市と県 覚書を締結
2012_0728_1_よみがえる海の恵み 宮古地域でウニ漁 震災後初
2012_0902_22_復興ボード住宅が完成 宮古できょうまで見学会 地元木材、技術を結集 ぬくもり、明るさ魅力
2012_0903_1_閉伊川に歓声再び 宮古・2年ぶり川下り
2012_0907_4_X型防潮堤分離へ 15年度まで復旧目標 宮古・田老 県が説明
2012_0920_4_鍬ヶ崎の「地価」提示 宮古市のまちづくり説明会 減歩率10~15%
2012_1010_4_高台1万2千円程度(1平方メートル当たり) 宮古市 田老の参考価格提示
2012_1013_2_津波堆積物の活用開始 宮古 防潮林の盛り土に
2012_1220_4_宮古・鍬ケ崎 地区内居住希望は34% 意向調査住民に説明 実態浮き彫りに
2013_0112_2_本格復興に挑む 沿岸12市町村長インタビュー(6) 宮古・山本正徳市長 住まいの再建重点 1次産業の発展を図る
2013_0307_25_沿岸12市町村 点検復興計画 (6) 宮古市 まちづくり迅速化図る
2013_0313_1_リアスハーバー宮古 県復旧着手へ 13年度内完成 16年岩手国体へ弾み セーリング競技会場
2013_0324_29_被災地に生きる 宮古・田老の今 変わる防災のとりで
2013_0326_1_県内初の高台移転宅地 宮古・重茂造成完了 住宅再建本格化へ
2013_0407_21_被災地を歩く (5)防災のまち一歩ずつ 宮古市田老地区
2013_0412_1_花見かき復活の春 宮古湾特産 被災後初の水揚げ
2013_0418_23_被災地を歩く (15)「活気再び」模索続く 宮古市新川町
2013_0423_4_三陸ジオパーク 日本委員会に加盟申請 推進協 9月末認定目指す
2013_0426_27_「津波避難」が最重要 宮古・田老まちづくり協 市に意見書提出
2013_0515_4_防潮堤やっと着工 宮古・田老 山側70センチかさ上げ ブロック一部保存へ
2013_0519_1_円形交差点 宮古に整備 信号機のない一方通行ロータリー 非常時避難を円滑化 県内初 事故防止も期待
2013_0531_27_宮古・藤原地区新たな防潮堤 県が海側に整備方針 既設と合わせ2重に 工業用地や住宅地 安全性確保へ万全
2013_0721_26_浄土ヶ浜新たな門出 宮古・三陸復興公園指定記念フェスタ 復旧歩道渡り初め セミナーや海開きも
2014_0329_29_仮設焼却炉が処理終える 2年でがれき5.5万トン 宮古地区
2014_0515_1_防潮林再生が本格化 盛り土完了、記念植樹 宮古・田老津波堆積土を利用
2014_0614_4_高台に診療所、保育所 宮古・被災公共施設の再配置 区画整理(野原地区)取りやめ
2014_0616_27_被災地を歩く (2)拠点集約、期待と不安 宮古市新川町
2014_0624_4_宮古・金浜 防潮堤が着工 被災前より1.9メートル高く
2014_0626_29_被災地を歩く (12)産業振興の成否が鍵 宮古市田老地区
2014_0714_25_あすへ備える(21) 第4部 地域力のかたち・沿岸編 (3) 住民主体で環境整備
2014_0715_4_高浜防潮堤 灯台が復旧 宮古
2014_0901_5_生コン施設 待望稼働 宮古・国整備 県内初完成 三陸沿岸道に活用
2014_0914_23_あすへ備える(31) 第6部 教育の現場 (3) 復興支える人材育成
2014_0921_1_大地の神秘間近に体感 記念クルーズ始まる 宮古
2014_1003_20_宮古・田老 震災乗り越え実り 復旧農地でソバ初収穫
2014_1018_4_宮古市の中心市街地拠点集約 過半数「早期整備を」 市民調査公表
2014_1217_4_県が防潮堤整備案 宮古・藤の川津波対策 住民説明会で方針 「景観配慮を」反発根強く
2015_0115_4_宮古・田老 防潮堤17年完成へ 県見通し 現状より1年遅れ
2015_0129_28_校庭の仮設完全撤去 宮古田老三小 本県、宮城で初
2015_0211_25_点検復興計画 震災4年(1) 宮古市
2015_0220_5_宮古・鍬ケ崎防潮堤の説明事情 市議会委が不採択
2015_0224_4_宮古・藤の川地区津波対策 県が防潮堤整備決定 住民は賛否分かれる
2015_0228_33_市街地整備案 賛同の声 宮古・市民説明会終了 合意形成なお課題
2015_0324_25_宮古・藤の川防潮堤計画 県に見直し要請へ 磯鶏地区住民が代替案
2015_0327_4_重茂の高台移転団地完成 宮古市内の漁集が完了
2015_1001_33_三王団地の宅地造成完了 宮古・田老 40世帯、建築工事へ
2015_1022_27_被災地を歩く (12)自治意識醸成へ奮闘 宮古市役所周辺
2015_1016_25_被災地を歩く6 東日本大震災本紙記者ルポ(6) 宮古市田老地区 店舗再建後の形探る
2015_1101_27_復興最前線 第46部 中心市街地の再生(1) 宮古市の拠点施設整備事業(上) まちの将来市民注視 丁寧な合意形成不可欠
2015_1102_23_復興最前線 第46部 中心市街地の再生(2) 宮古市の拠点施設整備事業(下) 市民の利用 どう促進 中心市街地と連携必須
2015_1112_26_空中散歩 復興の今 宮古市田老・三王団地 生活再建へ整備進む
2015_1123_23_津波防災のまち再出発 宮古・田老地区でまちびらき式 高台団地の完成記念「鮭・あわびまつり」も
2016_0221_23_点検 復興計画(10) 宮古市 震災5年
2018_1016_22_碑の記憶 宮古市重茂・姉吉集落 地域存続へ重い戒め 親から子に語り継ぐ
2018_1024_25_碑の記憶 宮古市崎山・女遊戸集落 2度の災禍 証言集も 近所で声掛け命救う
2019_0419_25_碑の記憶 宮古市・鍬ケ崎地区 生死を分けた幻灯会 防災教育いかに継続
2019_0719_25_碑の記憶 宮古市・浄土ヶ浜 観光客に告げる教訓 常に避難誘導へ備え
2020_0324_19_碑の記憶 宮古市崎山・震災メモリアルパーク中の浜 脅威伝える壊れた壁 展望の丘 がれき使う
2020_0514_19_碑の記憶 宮古市田の神・1本柳の跡 上流部も脅かす津波 伝承通り逆流 教訓に
2020_0904_23_碑の記憶 宮古市・磯鶏地区 祝宴一変2度洪水 「子孫守る」思い継承
2020_1015_21_碑の記憶 宮古市・たろう観光ホテル 壊滅的被害の漁師町 最上階で見える真実
2020_1211_23_碑の記憶 宮古市・田代地区 田老の犠牲者を供養 魅力創出へ新たな絆
2021_0217_19_復興点検⑥宮古市 ハード事業ほぼ完了 産業振興、にぎわい課題 from3.11あなたと生きていく
2021_0225_17_いのちの教え 第11部 復興教育の可能性 未就学児への指導
2021_0302_18_被災地を歩く12 宮古市田老地区 新しいまち 活力手探り
2021_0308_12_忘れない防災意識 警戒心の低下鈍化 教訓伝承、意識高まる
2021_0308_19_被災地を歩く16 宮古市中心部 力を合わせ盛り上げる
2021_0311_第九別刷8_陸前高田-名古屋 宮古-愛媛 宮古-京都 それぞれの支援と交流
2021_0311_第十別刷6_伝え続ける from3.11あなたと生きていく
2021_0311_第十別刷8_いわて振り返る10年 from3.11あなたと生きていく
2021_0312_20_共につなげる教訓のバトン from3.11あの日を繰り返さない 宮古市、迅速避難へ訓練
2016_0831_号外2_平成28年台風10号_豪雨の爪痕深く(写真)
2016_0902_1_平成28年台風10号_県内1100人超孤立 岩泉で新たに1遺体
2016_0903_30_平成28年台風10号_舞う粉じん 健康懸念 台風10号被害久慈や宮古の市街地 マスクの着用徹底を
2016_0904_24_平成28年台風10号_台風10号「孤立集落」伝言板
2016_0905_2_平成28年台風10号_広がる医療・福祉支援 県内被害 県やICAT活動 健康を確認、感染症防止
2016_0906_1_平成28年台風10号_「周囲浸水後に避難」24.7% 被災者アンケート 想定外の豪雨で遅れ
2016_0908_2_平成28年台風10号_本県サケ・マス打撃 下安家(野田)など4ふ化場 本年度の稼働困難
2016_0910_4_平成28年台風10号_防波堤、護岸被害18漁港 震災復旧に遅れ確実 道路損壊、流木堆積も
2016_0917_2_平成28年台風10号_内水氾濫で被害拡大か 宮古中心部台風10号浸水 水門工事の影響も指摘
2016_0927_1_平成28年台風10号_新築に最大200万円 宮古市が独自支援策 利子補給、転居補助も
2019_1014_1_令和元年台風19号_東日本 被害甚大 35人死亡、17人不明 24カ所で堤防決壊
2019_1014_27_令和元年台風19号_県土 無情の風雨 見回り中、車転落か 仮設、避難所も浸水
2019_1016_24_令和元年台風19号_車埋もれ曲がる電柱 釜石・佐須地区ルポ 市道陥没し一時孤立
2019_1016_25_令和元年台風19号_室蘭から絆の給水 宮古・田老樫内地区 フェリーが結ぶ支援
2019_1016_29_令和元年台風19号_復興途上 田老に打撃 道の駅、野球場被災 住民ら再開へ泥撤去
2019_1017_23_令和元年台風19号_ボランティアセンター次々 山田、宮古、岩泉で開設
2019_1017_26_令和元年台風19号_買い物、通院困難 宮古・重茂の仲組、押切地区 孤立状態、断水続く
2019_1019_1_令和元年台風19号_本県漁業の被害深刻 サケ漁 全域中断 本格復興へ影響懸念
2019_1022_26_令和元年台風19号_国道45号 8日ぶり開通 宮古第3トンネル通行止め解除
2019_1022_22_令和元年台風19号_爪痕 台風19号豪雨 リポート②宮古市 住民生活に打撃深刻
2019_1023_19_令和元年台風19号_自立支える施設に打撃 宮古のNPO法人 大量の土砂、再開遠く 復旧へ協力を呼び掛け
2019_1023_21_令和元年台風19号_市道崩落 続く「孤立」 宮古・重茂の千鶏、石浜両地区 住民、疲労の色濃く
2019_1029_1_令和元年台風19号_三鉄が運航再開見通し 津軽石-宮古⇒11月、田老-田野畑⇒年内
2019_1029_4_令和元年台風19号_断水きょうにも解消 宮古345戸、県内終息
2019_1101_23_令和元年台風19号_再起の途上 台風被災 東日本大震災3157日(宮古)
2019_1101_27_令和元年台風19号_車往来 ようやく 宮古・重茂の孤立解消